書籍「国家の品格」の備忘録
背景
以下の書籍を読んで、印象に残ったところを備忘録的にメモっときます。
- 作者: 藤原正彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/11/20
- メディア: 新書
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メモ
植民地統治の理由付け
(p.22)
一九一九年、第一次世界大戦が終わった後にパリで講和条約が開催され、そこで新しくできる国際連盟の規約が決められました。その規約の「委任統治」に触れた箇所を読むと、自ら統治出来ない人々のために、彼らに代わって統治をしてあげることは、「文明の神聖なる使命」である、という趣旨のことが書いてあります。
「文明の神聖なる使命」。なんと美しい言葉でしょう。
彼らはこれを、本当に信じていたのでしょうか。おそらく、二十世紀に入って二十年近く経つと、植民地主義の欺瞞にうすうす気づいて、そういう美しい言葉が必要になった、ということでしょう。
そういう大義名分があったんですね。
会社は従業員のもの
(p.28)
「会社は株主のもの」という論理は、私には恐るべきものに思えます。会社は、言うまでもなくそこで働く従業員のもので、株主は多くの関係者の一つくらいの存在でしかない。株主によっては一週間とか一ヶ月とか一年とかいう短期間で株を売り買いします。ほとんどの株主は値上がりによるキャピタルゲインを狙っているのであり、その会社には何の愛情も持たない人々です。一方、多くの日本企業の従業員はそこで長く働きますから、いつも会社のことを考えて一生懸命やっています。「会社は株主のもの」は恐ろしい論理なのです。
いつでも従業員とユーザーと世の中のためでありたい。
国語は重要
(p.39)
公立小学校で英語など教え始めたら、日本から国際人がいなくなります。英語というのは話すための手段に過ぎません。国際的に通用する人間になるには、まずは国語を徹底的に固めなければダメです。表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべてなのです。そして内容を豊富にするには、きちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠なのです。
国語も英語も苦手(;´Д`)
論理は必ず必要とは限らない。
(p.48)
ならぬことはならぬものです
要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。すべてを論理で説明しようとすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬものです」と、価値観を押しつけたのです。
重要なことは押しつけよ
本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押し付けないといけません。たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押しつけてよい。もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかも知れません。それはそれでよい。初めに何かの基準を与えないと、子供としては動きがとれないのです。
町に咲くスミレが美しいということは論理では説明できない。モーツアルトが美しいということも論理では説明できない。しかし、それは現実に美しい。卑怯がいけない、ということすら論理では説明できない。要するに、重要なことの多くが、論理では説明出来ません。
それでも理由説明がほしいことが多々あります(;´Д`)
いじめは卑怯であることを教える
(p.63)
「卑怯」を教えよ
いじめに対して何をすべきか。カウンセラーを置く、などという対症療法より、武士道精神にのっとって「卑怯」を教えないといけない。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な論理にくらべ、「いじめが多いから卑怯を教えましょ う」は論理的でないから、国民に受けません。
しかし、いじめを本当に減らしたいなら、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということを、叩き込まないといけない。たとえ、いじめている側の子供たちが清く正しく美しくて、いじめられている側が性格のひん曲がった大嘘つきだったとしても、です。「そんな奴なら大勢で制裁していいじゃないか」というのは論理の 話。「卑怯」というのはそういう論理を超越して、とにかく「駄目だから駄目だ」ということです。この世の中には、論理に乗らないが大切なことがある。それを徹底的に叩き込むしかありません。いじめをするような卑怯者は生きる価値すらない、ということをとことん叩き込むのです。
「卑怯である」という教育、なるほどです。
桜に儚い命の投影する
(p.104)
この日本人の感性の鋭さの一例が、例えば桜の花に対するものです。
桜の花は、ご存じのように本当に奇麗なのはたったの三、四日です。しかも、その時をじっと狙っていたかのように、毎年、風や嵐が吹きまくる。それで「アアアー」と思っているうちに散ってしまう。日本人はたった三、四日の美しさのために、あの木偶の坊のような木を日本中に植えているのです。
桜の木なんて、毛虫はつきやすいし、むやみに太いうえにねじれていて、肌はがさがさしているし、花でも咲かなければ引っこ抜きたくなるような木です。しかし日本人は、桜の花が咲くこの三、四日に無上の価値を置く。たったの三、四日に命をかけて深く散っていく桜の花に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでしたのです。
この美的感覚、良い。大事にしたい(*´Д`*)
祖国愛は大切
(p.113)
日本ではあまりよいイメージで語られない「愛国心」という言葉には、二種類の考えが流れ込んでいます。一つは「ナショナリズム」です。ナショナリズムとは、他とはどうでもいいから、自国の国益のみを追求するという、あさましい思想です。国益主義と言ってよい。戦争につながりやすい考え方です。
一方、私の言う祖国愛は、英語で言うところの「パトリオティズム」に近い。パトリ オティズムというのは、自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛することです。これは美しい情緒で、世界中の国民が絶対に持っているべきものです。
自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛したい(*´Д`*)
まとめ
日本人が本来もっていた感覚を取り戻したい(´Д`)